コラム勝木氏 コラム

勝木氏 コラム

第六話「原料米 山田錦」

日本酒醸造界のレジェンド、勝木慶一郎氏による連載コラム第六話です。

■勝木 慶一郎氏 紹介
・醸造家酒造歴:50年
 佐賀 五町田酒造45年、京都 松本酒造5年
・特技:酒造工程の改善
 SDKアルコール分析法の考案
・趣味:写真機、世界中のBeerを一種類でも
 多く飲む、真空管ラジオで短波放送を聴く

 11月も半ばを過ぎようとしています。今年(2020)は気温が高く25℃を過ぎる暑い日が続いているにも拘わらず道ばたの落ち葉には、静かに秋が忍び寄っている。


       Photo: 桜の落ち葉 伏見堀川沿い 2020.10.20

 伏見の街中には、通りや家の庭の植え込みに色々な木々が植えてある。中でも「桜」の木が目に付き、多く住民に愛されている。伏見の大手筋通りには銀杏が黄葉し、堀川沿いの桜並木は、日々葉を黄色からやがて紅色に染め一葉一葉落としている。


         Photo: 伏見堀川沿いの桜の紅葉 2020.11.20

 仕込みに使う原料米の「山田錦」は隣の兵庫県、日本一の優良酒米生産地である東条町にあり「村米契約」を結んでいる「岡本営農互助会」で生産された玄米と少しだけ直接営農する自社田分を使用している。日本を代表する酒米の女王と呼ばれる「山田錦」は、近代交雑育種の賜です。その歩みは凡そ次の通りです。明治時代の中頃には、全国の各県に県立の農事試験場が開設されます。我が国の水稲品種の交雑育種は、1904年頃に始まりました。兵庫県の試験場は明治27年4月[1894]年に開設され、大正10年[1921]年から人工交配を始めました。さらに、県下の酒造家の要請に応えるために全国に先駆け昭和3年[1928]年に酒米専用の研究施設「酒米試験地」(途中で一時呼称が変わる)を開設します。山田錦の両親となる母親「山田(やまだ)穂(ほ)」は、兵庫県内の在来種の品種比較試験を繰り返し品種の固定を進め、明治45年[1912]年に県の奨励品種に採用。一方父親は、滋賀県農事試験場より大正7年[1918]年に取り寄せた短竿(たんかん)渡船(わたりふね)(短竿:背が低い)を用い、大正12年[1923]年に育種目標を品質に優れ、背が比較的低く倒れにくい、合わせて病気に強い酒米の育成をめざし明石の試験場で人工交配を行い、その後酒米試験地で育成を続けF9世代の昭和7年[1932]年に品種を固定し、昭和11年[1937]年に「山田錦」の名前を付けて兵庫県の酒米奨励品種として登録されました。


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 兵庫県東条地区は、神戸市灘地区を臨む六甲山地の後背地にあり、開けた低い丘陵地帯を北東から南西へ下る東条川の両山際に暖傾斜の棚田とし広がっている。水源は川からの用水に頼らず、北と南に位置する広葉樹林帯の山際に複数点在する「ため池」から落ち葉からの地味富む水に頼り落差を利用し灌水されている。土壌は古代の火山灰由来の凝灰岩を母材とし、粘土を多量に含み保肥力、塩基置換容量が特に優れた地質であり江戸時代から「酛米」と呼ばれる酒造家が指定する「村米」を作った集落の一つで、吉川地区と並ぶ灘五郷地区へ供給する酒造専用米生産地として遍く名声が高かった。明治時代後期に始まった兵庫県農事試験場による交雑育種法による県産米品種改良の種子の交配母本として県内各地の域名を付けた幾つかの懐かしい品種名を奨励品種来歴表から知る事が出来る。野条穂、天神穂、そして後に山田錦の母親となる山田穂が取りわけ有名です。







Photo: 兵庫県東条町秋津地区にある松本酒造直営の「山田錦」展示圃場 2020.10.1

 山田錦の母親となる山田穂の由来について、兵庫県内には三つの説話が伝承されてきた。一つは、我が国の江戸藩政時代[ 1603-1868 ]において、今では当然と思われるが、女性も子供達も含め、庶民の個人旅行が思ったより安全に自由に全国各地へ旅する事が出来た事実である。当然のことながら道路も江戸を中心に全国各地へ行き渡り宿泊所は勿論、津々浦々への手紙等の通信手段も整備確立されていた。中でも、全国各地より盛んに行われた「お伊勢参り」と称される、伊勢大神宮への参拝旅行は、普段から顔見知りの親しい仲間を集い「伊勢講(いせこう)」と呼ぶ貯金を毎月欠かさず五年間程続け、毎年積立金から籤を引き順繰りで参拝者の資金を用立てる形で庶民に楽しまれた。人々の交流は旅の途中で各地にいる儒家、書道家、蘭学者、和算学者、また農学者の交わりにおいて、旅の収穫物として全国各地へ多岐にもたらされた。
一つ目は、山田錦の将来の母となった「山田穂」は、吉川村在住の農家の主、田中信三郎氏によりお伊勢参り旅の途上「伊勢山田村」から持ち帰ったと伝えられている。実に見事な秋の夕日に映えた実り姿の美しい一握りの稲穂を貰って帰り、兵庫県内近郷に広まったと伝えられている。
 二つ目は、多可町の熱心な農家、山田勢三郎氏により育まれ、自身で種子を配り、近隣の農家にも生産を奨励し、米俵に一俵毎に「山田(やまだ)穂(ほ)」の焼き印を押し酒造家に納めた。今日でも村の山辺に、山田氏への感謝を表す記念碑が建っている。
三つめは、県内山田村に伝わっている。明治23年に開催された「第3回国内勧業博覧会」農産品部門において、品質優秀に付き日本一の折り紙が付き近郊の農家に普及し「山田穂」として、近郷から県内に普及したと言われている。
 兵庫県が、全国に先駆け酒米の一大産地となった理由がもう一つある。そのシステムを「村(むら)米(まい)制度(せいど)」と呼んでいる。誕生したきっかけは、原料に用いる酒造米として量の確保もさることながら、品質を重視する灘五郷の酒造家の発案による。江戸藩政時代は、米を課税の対象として「年貢(ねんぐ)米(まい)」とした。年貢米の課税は、個人の農家では無く村落を対称とする結果、品質の保証に厳しい連帯責任制が敷かれていた。明治新政府は土地の所有を個人とし、同じく課税の対象を個人とした、更に米による物納から金納へ転換した結果、やがて品質重視から量産重視へ次第に移行していった。質の低下は、酒質に大きく反映し危機感を覚えた灘五郷の酒造家達は、生産を担う農家へ働きかけ、村単位で生産する酒米の品質を明確にした上で購入数量を確約し、一括して前金で補償し、品質の向上と生産意欲を積極的に推進した。「村米制度」が機能し、やがて酒造原料米の品質の向上と合わせ収量の増産は灘五郷の酒質の向上をもたらし、国内において圧倒的な酒造米の質量の優位性を背景に日本一の清酒生産地として地位を確立していった。現在に至る「近代清酒醸造発祥の地は灘」と言われる大きな道筋が出来た。


          Photo:東城地区 JAみのり種苗センター




松本酒造は、原料米「山田錦」を兵庫県中東条町岡本に在る「株式会社岡本営農互助会」が運営する「村米制度」により収穫された新米を例年800俵(@60kg)と、同じ町内に在る「株式会社 こうせつ田中」の生産及び乾燥調整による山田錦等200俵を仕入れている。岡本地区では、株式会社を立ち上げ法人制度を農業分野に導入し、個人経営農家の後継者不足の解消と村落内に分散配置された各個人の農地の集約を合理的に解消するために農業基本改革の一環として国の後押しで各地に作られている営農法人である。ここ東条町においては生産する米の品種を清酒原料米の「山田錦」に絞り、自主的に出荷先を選択し、醸造元として松本酒造と品質を高める栽培方法の追求、購入数量の確定など常に対話を続けながら農家経営の安定と醸造元の品質向上に向けた努力を続けている。そのほかに、松本酒造は直営の50aで「山田錦」を直接社員達で栽培している。一つの試みとして、酒造現場で見られる幾つかの問題点の解決を計ろうとする時に、要因が醸造技術以前の米の栽培過程にあると仮定し、田植えから取り組み、新しい改善の方策が確認できないか農家と違う視点で日々取り組んでいる。


            Photo: 山田錦の開花 2020.8.28

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