コラム勝木氏 コラム

勝木氏 コラム

第五話「杉玉」

日本酒醸造界のレジェンド、勝木慶一郎氏による連載コラム第五話です。

■勝木 慶一郎氏 紹介
・醸造家酒造歴:50年
 佐賀 五町田酒造45年、京都 松本酒造5年
・特技:酒造工程の改善
 SDKアルコール分析法の考案
・趣味:写真機、世界中のBeerを一種類でも
 多く飲む、真空管ラジオで短波放送を聴く

 今日は、11月18日(2020年)いよいよ新酒の初搾りです。普段、師走には正月に「注連縄」を玄関に飾り新たに「歳神様」を迎える。同じように松本酒蔵では、初仕込みの酒を搾り揚げ、新らしい年の酒が出来たことを知らせる印に、蔵の入り口、軒先に大きな杉玉を吊します。この杉玉は、蔵の敷地内に育つ杉の木から夏から秋にかけて伸びてきた新しい枝の若葉を選んで作ります。杉玉の由来は奈良県桜井市にあり古く「日本書紀」には、神と書き「みわ」、神酒と書いて「みわ」と読まれている大神(おおみわ)神社(じんじゃ)に縁起する。酒は神の為にあり、神は三輪であるとされた。ご祭神の大物(おおもの)主(ぬしの)大神(おおかみ)が三輪山に鎮まるために、三輪山を御神体とし本殿を設けず三つの鳥居を設け、山全体を信仰の対象とした最も古い原初の神祀りの様式を今に伝えている。大物主大神に捧げる為に新酒を作る最初の杜氏として高橋(たかはし)活(いく)日(ひの)命(みこと)が掌酒(さけひと)に任じられた。そして活日は一夜にして美酒を醸したと伝えられている。やがて、全国から酒を造る神社として祭られるようになった。三輪山に自生する杉には、神力が宿るとされる。この杉枝から杉玉を作り、出来秋に収穫した新米から造られる新酒を神に感謝する神事として行われてきた。現在は日本各地の蔵で新酒の搾りに合わせて「新しい酒が出来ました大神さま感謝します」の象徴として杉玉は、数多くの蔵の入り口に掛けられる。
さらに古代に夢の翼を広げると三輪山を中心に、三笠山、笠置山、天の香具山、住吉神社等、奈良盆地の地名の配置とまるでそっくりに北九州の朝倉、また糸島にも同じ地名と配置が残っている。古代中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されている( 3世紀末、古代中国の三国時代について書かれた歴史書で「陳寿」により書かれた「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称である。当時の倭人の生活について記述されている。地理についての記述の中に女王を頂く「邪馬台国」の記述で有名 )その邪馬台国が都を九州から東へ移動させた痕跡とみる研究もある。今も世界には、既に実際には英国の出身でない人達も、英国を[mother country]と親しみを持って呼び、母国の地名を新天地へ移した事例が少なからず残っている。


   大神(おおみわ)神社(じんじゃ):〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422


大神神社の魅力は、少し離れた遠方から全景を見るとよく分かる。(Google mapでも十分堪能できる)また普段は気をつけないと高橋(たかはし)活(いく)日(ひの)命(みこと)を祀る「活(いくひ)日(ひ)神社(じんじゃ)」にはたどり着けない。さらに、「三輪山」に登拝し参道の中腹の木漏れ日の先から耳成山、香具山、畝傍山が見えるスポットがあり素晴らしい。




         “ Big cedar ball “ 2020 November 19 Daikoku kura


杉玉は、新酒の時季には青々とした緑に映え、やがて正月を過ぎ、春分を過ぎて夏を超えて再び秋を迎える頃には、枯れた落ち着いた茶色へ変化する。秋口から春先に搾られた酒も同じように熟成し味も香りも落ち着いて「秋(あき)上がり(あがり)」と呼ばれ本当の美味い飲み頃を迎える。


          Photo:松本酒造 研究室で杉玉制作中


松本酒造では杉玉は、敷地内の杉の枝葉から次のようにして作る。
① 瑞々しい新しい葉が伸びた枝振りを選び剪定する。大きさにもよるが意外と量がいる。
② 杉玉の直径に合わせ、親指と人差し指でつかめる「一束」毎に杉の枝葉の長さを切りそろえ針金で結束し、針金の片方を長めにしておく。
③ 天井から吊した下げ紐の末端に付けた直径3cm程のリングを芯にして結束した針金を通し長さを揃えて結わえる。
④ 杉の葉の束は、順次止められていき、やがて大まかな球形になる。密度を高めて最後に回しながら全体を纏めてバリカンで球形に切り揃える。






                Photo:棚の道具類


               Photo:中温速醸 酒母


現代の清酒醸造の基本は、「寒づくり」と呼ばれる。江戸時代に灘五郷と呼ばれる現在の兵庫県神戸市を中心に灘酒として造られ海上輸送で大消費地江戸に運ぶ為に品質を安定させ完成された。寒づくりとは、その年の秋に収穫された新米を寒くなる冬の時期に仕込む方法を言う。灘酒の成立には合理的な理由が見いだせる。物事が上手くいくには、天の時、地の利、人の和、が揃うことが条件であると言われる。①徳川幕府が開かれ長い戦乱の「戦国時代」が終わり、世間の人々が精神的に落ち着き、働く喜びと共に家族、友人と団欒を囲むゆとりができ、日常の楽しみに酒の需要が生じた。②灘は、後背地に六甲山系を持ち神戸湾に注ぐ、水量の豊かなでかつ急峻な河川が多い。今と違い動力源に水車精米を導入出来る環境に恵まれ江戸に船積みできる港にも近く次第に発展した。更に伏流水となって海岸線沿いに並び立つ酒造蔵に豊かなミネラル分を含む醗酵に適した「宮(みや)水(みず)」もこんこんと湧き出た。③六甲山系の背面は、東西に広がる水田地帯で日当たりと水利に恵まれ風の通りにも優れていた。酒造に適する大粒米を作り豊かな実りをもたらす水田農業は、基本的に春の田起し、から秋の収穫までが家族総出でいそがしい。また寒さが厳しい秋口から冬場を越し、次の田植えの時期までは、農閑期で男手は余っている。そのような冬場の仕事として灘五郷の酒造場は、近くて働きやすく収入も恵まれ杜氏(酒造の統括責任者)から大師(だいし)(麹の責任者)、船頭(もろみ搾りの責任者)、使い走り(経験の浅い見習いの若者)から始まる酒造経験も自身の経験と実力で経済的な余裕を手にすることが出来た。この3条件が適う灘に近代清酒醸造は花開いた。


Photo:「萬(まん)福寺(ぷくじ)」黄檗宗(おうばくしゅう)大本山 蓮の池の黄昏 〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34


京都市内、観光客の喧噪から離れ、静謐で趣のある本来の仏教寺院を是非訪ねてほしい。
交通:JR京都駅から奈良線各駅停車で25分、黄檗駅下車徒歩5分程、伏見からは、中書島駅から京阪宇治線で10分、黄檗駅下車徒歩5分と、とてもアクセスし易い。
黄檗山萬福寺は、幕府の支援を得て、寛文元年1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創された。我が国の仏教宗派の中でも時代に新しく伝来し、中国的な特徴を色濃く残し、京都市中のお寺とは違い人が少なく空気が澄んでいる。今でも江戸時代が醸す文化の成熟を体感できる。

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