コラム

勝木氏 コラム

第十話「万暁院」

日本酒醸造界のレジェンド、勝木慶一郎氏による連載コラム第十話です。

京都駅から近鉄電車で15分「桃山御陵」駅で下車する。駅前を東から西へ下る通りを「大手筋通り」と呼ぶ。かつて豊臣秀吉により伏見城が築かれ日本の首都として賑わった残り香であり、城の大手門から城下町へ通じる表通りであった。城下町には配下の大名の屋敷が配置されていた。伏見には、今でも町名として歴史が息づき往時を偲ばせる。





また、伏見は江戸時代を通し、大坂から江戸に至る河川交通の要衝として栄え淀川を上り伏見で船をおりてある旅人は京の都へ、また東海道五十三次で江戸へ向かった。やがて時代は明治に至り、蒸気機関車による鉄道が開通し、一躍輸送の花形に躍り出た。この機を逃さず素晴らしい地下水に恵まれた伏見地区(伏した水の意味)へ京都市内や近隣の県から酒造会社が移り来て、灘酒に先駆け優良な酒を量産し全国に販路を拡大して今日に至っている。伏見の地域には、当時の雰囲気を醸す木造の巨大な酒造蔵が沢山残っていて、町の景観に大きな影響を与えている。平成の御代も大規模なマンションや大型ショッピングセンターの景観も酒造蔵のかつての栄光を忍び切り妻屋根のイメージを再現するかのような姿で建っている。



伏見堀川沿いに建つ月桂冠酒造「昭和蔵貯蔵庫」 2021‎年‎7‎月‎23‎日、‏‎19:24


堀川沿いに建つ月桂冠「昭和蔵」は、先の昭和天皇の即位の儀に際し「献上酒」を納めた事により名付けられた。旧本社として長く使用され、1927年(昭和2年)冷蔵式コンクリート酒造蔵を始め革新技術や天皇勅使を迎えた応接間、大講堂や社員食堂など素晴らしい雰囲気を今に伝えている。社員の生産意識の向上に努め、合わせて近代日本の酒造技術を牽引してきた社風がこの建物から伝わってくる。



夕暮れに映える、酒蔵と赤煉瓦の煙突 2021‎年‎4‎月‎19‎日、‏‎18:12


大手通を東に下りると「竹田(たけだ)街道(かいどう)」に交わる。この竹田街道には、明治28年、京都電気鉄道により京都駅から伏見油掛町まで、日本で初めて電気鉄道が走っていた。さらに西へ下り「堀川」を渡る。堀川は伏見城の外堀にあたる。更に西へ進むと京都市内から通じる「新(しん)高瀬川(たかせがわ)」水路に至る。橋の袂には、三連棟の切り妻屋根に特徴のある松本酒造の蔵が塀越しに見える。近世的な木造建築の酒造蔵と近代的な赤煉瓦の煙突は、圧倒的に目立つ赤茶色の色彩を上手に建物群と調和させて眼前に迫ってくる。さらに瓦屋根を乗せた腰までの板壁と漆喰壁の黒白のバランスも目に優しい。仕込み蔵は、長さ40m、幅32mあり、屋根は瓦葺きで鼠色に渋く銀色に輝き、軒下には板壁に使われた「焼き杉」の黒壁を帯状に配し漆喰壁の白色が周り強く引き締め、さらに十四連想の窓を上下二段に配置して酒造蔵の合理性も追求している。今に至るも、木造建築による酒造蔵として大きさや機能から見て絶頂期にあった1920年台(大正時代末期)の近代産業遺産である。川沿いに三連棟の仕込み蔵は長手方向に並んで建っているが、その蔵と直角に向いて他に三棟の蔵が妻側を川に向けて並んでいる。横長で単調な風景に心地よいアクセントを与えている。手前から製品瓶詰場、冷蔵庫、精米棟、中でも大きな建物は、一見すると木造蔵に外観は見えるが、1983年竣工の鉄筋コンクリート二階建ての巨大な冷蔵庫棟にあえて、今では都市の景観への調和は、十分考えるであろうが、当時その為だけに外壁の全面を焼き杉で覆い、更に軒下には、他の蔵と統一感を持たせるために漆喰壁に似せた、白セメントモルタル壁で仕上げ一見すると和風の蔵に見える。
このように松本酒造には、単に経済合理性だけでは無い、伏見においても京都の蔵である使命と矜恃がある。理由の一つには、自分の蔵の生い立ちは、かつては洛中にあり、1923年(大正12年)に伏見に優良な仕込水を求めて進出した熱い思いが秘められている。



「正傳院」遺構の門 1970年代まで会社正門として使用。2021‎年‎6‎月‎13‎日、‏‎8:30


松本酒造の正門から入るとこんもりとした立ち木の右手前奥に「万(まん)暁院(ぎょういん)」と名前を改めた純和風の建築の玄関部分と表門がある。今をさかのぼる400年ほど前1618年(元和4年)に建てられた歴史的建造物「正傳院」の遺構である。正傳院とは、織田信長の弟、織田有楽斎が建てたもので、京都最古の禅寺、建仁寺の塔頭の一つであった。そこには有名な茶室「如庵」や「長好閣」があったとされている。正傳院は、明治維新により1873年(明治6年)に政府に没収され、その後は数奇な運命をたどり、分散され売却されてきた。さらに戦時中の御池通の防火帯の拡張工事の際に解体され、松本家の頭首、松本治平により昭和24年戦後の混乱期に五万円で取得された。「万暁院」の銘々についても非常に興味深い話が伝わっている。



「万暁院」玄関 中央に酒造蔵のシンボル「杉玉」がある。 2021‎年‎5‎月‎15‎日、‏‎9:16


松本酒造は、1923年に京都市内七条から伏見の当地、恵比酒町と大黒町が交わる縁起の
良い場所へ越してきた。万暁とは、万日の夜明けから一万日を表し、1950年、完成までの約30年の月日を意味している。移転以来、松本治平は酒造業に専念し、先行する同業他社とは異なる価値観を常に持ち続けた。おそらく洛中から伏見の片田舎に水を求めて蔵は移しても「正傳院」の遺構を伏見において再興し、洛中の「しるし」を持ち込むことにより京都洛中に発祥した造り酒屋のアイデンティティを示したかったと思えます。  
この一点に、大いなる「洛中人」の美意識の発露が凝縮されている。



                         万暁院室内間取り


「万暁院」の住居機能は最小限に留めている。表玄関、内玄関、茶室と控えの間、客座敷と次の間、来客用台所からなり来客をもてなす為に伏見にありながら、「洛中の雅」を満喫する工夫に最も重きが置かれている。いわゆる「迎賓館」として活用し、初めて本来の目的にかなう。客間には、冬は「鍋島(なべしま)段通(だんつう)」が敷き詰められ、季節が夏に向かい暖かくなると今では貴重な、「油団(ゆとん)」が敷かれる。内窓は庭の見晴らしを良くする為に柱は細く開くと視野は広い。また閉めた「硝子(がらす)障子(しょうじ)」からの眺めは、一眼レフの「ファインダー」に見える。明るくキラキラと輝きフレームからは、まさに移りゆく四季の趣を醸しだす。



    客間から見る:A  2021‎年‎4‎月‎18‎日、‏‎9:04



    居間から見る:B  2021‎年‎4‎月‎18‎日、‏‎9:05



                      万暁院と日本庭園植生図


日本庭園は、木々の緑もさることながら「苔」の青さが大きな魅力です。暑い京都、
伏見の夏は、庭の水まきが最も重要な仕事です。





2020年夏、70年ぶりに「万暁院」の屋根の改修始まる。万暁院は敗戦後すぐに建築資材を京都一円から集め工事を始めました。経済が戦後立ち直りを見せてはいたものの、まだ緒に就かず今ではとても手に入らない材木や内部の調度品が多く手に入った反面、やはり強度的に十分な高品質な木材が入手出来なかった。





更に大工、左官、屋根葺き職人、指物大工、建具屋等の職人、さらには京都きっての造園士が動員され腕を競って戦前からの京都の雅を共演した。座敷は庭を広く客に見せるために縁側を一段下げて作られ、開口部を左右に広く開け障子も硝子障子を用いて明るく光が入り、開け放すと庭の木々が景に映える様に設計されている。しかし、開口部を広くして視野を広くするために柱は意外に細くしている。





張りも極限まで細い、さらに今となっては、具合が悪い原因の一つは、屋根の構造にある。屋根葺きは京都に集う各種の屋根の様式、入母屋造り、寄せ棟造り、切り妻造り、などを複雑に組み合わせて腕を競わせた結果、近年座敷に雨漏りが目立つようになってきた。屋根が組み合わされる谷と呼ばれる部分が多すぎ、雨の多い夏に漏り始め、戦後の十分でなかった材料事情と、盛り込みすぎた設計が裏目に出てきてしまった。
改修は、屋根全体に鞘屋根を掛け、全体の瓦を剥ぎ、下地の粘土を落とし、新しい瓦に葺き抑える方式を取っている。





瓦を剥ぐと70年間の重量の掛かり方で柱毎の沈降度合いが異なり、全体の水平を取り直し、各室内を形成する敷居の水平をジャッキで修正し屋根を葺き直す。屋根を変えることは屋根だけでは済まない。3年計画で京都市の補助も半額負担して修復に当たっている。






           ジャッキアップ






       万暁院正門 屋根の葺き替え



       茶室控えの間 壁の塗り替え



        客間柱基礎石の水平調整



    伏見に秋が訪れた、1年目の工事は終了した。



            改修後-1



            改修後-2



            改修後-3



            改修後-4

勝木 慶一郎氏 紹介

・醸造家酒造歴:50年、佐賀 五町田酒造45年、京都 松本酒造5年
・特技:酒造工程の改善、SDKアルコール分析法の考案
・趣味:写真機、世界中のBeerを一種類でも多く飲む、真空管ラジオで短波放送を聴く

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