コラム

勝木氏 コラム

第一話「原料に勝る技術無し」

日本酒醸造界のレジェンド、勝木慶一郎氏による
連載コラムスタート!
今回は、その第一話です。

これからしばらくお付き合いを願います。京都市伏見区横大路三栖大黒町に在る松本酒造株式会社を舞台に、今日の清酒醸造技術の紹介と京都市内、また伏見近郊の季節の移り変わりを伝える「酒蔵の窓から見える風景(けしき)」と題してphoto essayを綴りたいと思います。


                        [ photo 1 ] 蔵二階の窓を外から眺める

始めに今日までの松本酒造の蔵の歩みを見る事から始めたい。
1760(宝暦10年)近江国彦根藩士松本彦四郎の嫡子として、初代治兵衛は生まれる。1791(寛政3年)京都七条伏見街道西入日吉町(現:七条通本町西入)に酒株を購入し酒造業を始める。1923(大正12年)七代目治兵衛は、最良の水を求め京都市街南部に位置する伏見の横大路三栖大黒町七に製造場を移転させ新たに仕込蔵を整備した。蔵へのアクセスは、いたって簡単でわかりやすい。
交通:JR京都駅から近鉄電車で15分桃山御陵前駅下車、大手筋商店街を西へ徒歩15分。
もしくは、市バス81系統に乗車し「武田街道」を下り30分で西大手筋下車、徒歩5分。
電車の駅名「桃山(ももやま)御陵前(ごりょうまえ)」とは、明治天皇陵が旧桃山城跡に作られ、祭祀に便利な駅として設けられた。近くに京阪電車「伏見桃山」駅、JR「桃山」駅がある。



                 [ fig 1 ] 京都市街略図

清酒の原料は、国民の主食である「米」を更に精米し「白米」として利用している。ここで、もう一つ非常に大切な視点を原料の「水」に求めたい。近代清酒産業は現在の兵庫県神戸市の「灘五(なだご)郷(ごう)」と呼ばれる地域から発祥し江戸末期に大凡(おおよそ)近代的な「寒づくり」と呼ばれる酒造スタイルとして完成されその技法はあまねく全国に広がり、各地の気候の違いを反映しそれぞれに進化したものの、今日まで基本的な技術革新は行われていない。
灘地区と同様に清酒醸造のメッカと呼ばれる地域に、京都市「伏見」地区があり、「灘・伏見」と並び称される。清酒にとって「白米」が原料である事は間違いないが、もっとも大切な原料が清酒醸造にはもう一つ欠かせない。灘には「宮水」があり、辛口の男酒に、伏見は「伏し水」といい、柔らかい口当たりの女酒になる。何れも酒質に大きく寄与した地下水の存在が大きい。清酒の醸造法のWine、Beer、や他の醸造酒との決定的な違いは、穀物原料である「玄米」をそのまま用いずに十分に削り、(精米)大量の水で洗い、(洗米)水に漬けて米に適度な水分を持たせ、(浸漬米)水を切り蒸気で蒸す。(蒸し米)原料処理全般を司る主役としての「水」は極めて重要な位置を占めている。酒の成分の構成は、アルコール分を15%とすれば、原料米からは15%あり、残り85%はすべて水の恵みによりもたらされている。



                  [photo2]:新高瀬川堤防から見る松本酒造場

左から、精米棟、冷蔵棟、瓶詰棟、製造棟、ボイラー棟、
現在全国には、1,500場程の稼働する清酒醸造所があるが、米も大切だが、蔵の設置条件の第一は、原料用水である。水の大切さは近代科学によりほぼ解明されたが、まだ十分な解明がなされない時代に醸造家は蔵を移転させる勇気をもって名水を求め、酒質の改善に努力した。原料水を確保し、その水に合う蔵毎の技術を確立していった。先人の冒険心と先見性に敬意を表したい。
さて、伏見について少し詳しく話しを進めよう。
今でこそ、伏見は京都市外南部に位置する平凡な地域と目に映る人も多い。内外の観光客も京都御所、金閣寺、銀閣寺、清水寺と京都駅北側に目が向き、特に洛中に関心が向いている。そこで少し時間を遡って見てみよう。少し日本の歴史に関心のある方は、歴史の区分として、江戸時代が300年と長く続き明治維新があり、明治、大正、昭和と激動の20世紀を経て現代に至ります。実は江戸時代の一つ前を「安土・桃山」時代と呼びます。別に「織豊時代」とも呼んで織田信長、豊臣秀吉の大活躍した戦国時代です。1594(文禄3年)戦乱の時代を終わらせた豊臣秀吉は、洛外南の伏見村桃山に「伏見城」を築きます。この桃山こそ、新しい平和の時代を開いた秀吉の「首都」であり、伏見は、京都東山山麓の南端に位置し、丘陵の西側に城下町を設け広さ、東西4km、南北6km、人口数万を数えました。東から鴨川、西から桂川が合流し淀川となる合流地に有り南に巨椋池があり、水運により大坂と京を結ぶ要衝の地であった。桃山の地に全国諸大名の屋敷を構えさせた城下町こそ伏見の地域なのです。電車を降りると現在も、旧大手門から続く「大手筋通り商店街」が賑わいを見せ、肥前町、毛利長門町、島津町と大名由来の町名がひそかに息づいています。また今では、東京の銀座は遍く有名ですが、ここ伏見の銀座が今に続く貨幣経済発祥の地です。
「伏見」と字を当てるが、「伏した水」すなわち、伏流水、を意味しており三方を山に囲まれた京都盆地の最南部に位置し、周辺の山稜に降った雨が地下に浸透し、やがて時間の経過と共に伏見地区にわき出て良水となる。京都水盤と呼ばれる地下にある200億トン、琵琶湖に匹敵する大規模な地下ダムと考えれば理解しやすい。近鉄桃山御陵前駅近くの「御香宮」神社には、平安時代に薬効あらたかなる水が湧き出、清和天皇(850-881)より、その名を賜ったと伝えられている。今でも御香水と呼ばれ、人々に親しまれている。表門は伏見城の大手門を移築したと伝えられている。以来この地に酒造業は花開きやがて明治、大正を経て昭和の時代に大きく花開きます。2021年現在伏見には、松本酒造株式会社 守破離(シュハリ)を始め、次のよう銘柄で競っている。黄桜株式会社 黄桜(キザクラ)、株式会社北川本家 富翁(トミオウ)、月桂冠株式会社 月桂冠(ゲッケイカン)、宝酒造株式会社 松竹梅(ショウチクバイ)、玉乃光酒造株式会社玉乃光(タマノヒカリ)、株式会社増田德兵衞商店 月の桂(ツキノカツラ)、株式会社山本本家 神聖(シンセイ)等19銘柄があります。


                 【photo3】:春爛漫の新高瀬川放水路から見る大黒蔵

勝木 慶一郎氏 紹介

・醸造家酒造歴:50年、佐賀 五町田酒造45年、京都 松本酒造5年
・特技:酒造工程の改善、SDKアルコール分析法の考案
・趣味:写真機、世界中のBeerを一種類でも多く飲む、真空管ラジオで短波放送を聴く

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